こころの食育 #10

「食づくり 心づくり」事始め

『典座教訓(てんぞきょうくん)』『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』に導かれて



作る心について“三つの心構え”

新年を祝う「おせち」も、もはや買って済ますご時世か。せめて昆布巻きや煮しめ、黒豆、田作りくらいは手づくりのものを味わいたい。正月早々愚痴りたくはないが、“手間いらずの便利さ”は、“手間を惜しまぬ心”をも不要にしてしまう。買った物はどんなグルメも味憶には残らない。 “手づくりの心”がしみた味こそ、温かく滋味深いまことのご馳走。

“作る心”を説いた『典座教訓』と、“食べる心”を説く『赴粥飯法』は、道元禅師が「食は仏道修行である」ことを著した名著(1237)。「典座」とは、禅の修行道場における食を司る重要な職責を担う。食の真理に目覚め「食と仏法一如」を唱えた禅師は、その根底に「食の三心(喜心、老心、大心)」を掲げた。「喜心」とは喜悦の心。他人のために事を成すことを喜ぶ心。「老心」とは子を思う親の心で、純粋に他人に奉仕する心。「大心」とは大山の如くどっしり、大海のように広々と、偏ったり固執したりすることのない心をいう。

教訓の具体例には「ご飯を炊く際には鍋を自分そのものだと思い、米をとぐときには水を自分の命そのものと考える」また「米をといだ白水(とぎ汁)を気にもとめないで捨ててはならない。白水をこす袋を備え、一粒の米も無駄にしない」など微に入り細に入る。(とぎ汁は多分アク抜きや、お堂の雑巾がけなどに使うと思われる。)つまり「食づくりの心」とは“喜びをもって食事を調え”“天地の思いやりを享受し”“惑いなき大きな心を養う”こと。食と法の一体とは、“食と心は同じ”であり、飽食の今こそ省みるべき食の心得だろう。仏教に無縁でも、日々手間を惜しまず苦労を積めば、自ずと心が高められ、大きな安らぎを得るに違いない。



食べる心について“五つの観文”

「典座」が供する食事に対し、まず合掌して頭を下げ、次に五つの事を瞑想する。『一つ、功の多少を計り彼の来処を量る』(この食事が膳にのぼるまでの、数えきれない人々の労苦に想いを巡らせます)『二つ、己が徳行の全欠を忖って供に応ず』(自分の徳行ができているか反省し、この食事を過分に思って頂きます)『三つ、心を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗とす』(心を正しく保ち、貪り、恨み、愚痴などから離れることを一義に心得ます)『四つ、正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり』(良き食事は良き良薬を頂くことで、心身を健全に保つためです)『五つ、成道の為の故に今この食を受く』(仏道成就のために、この食事が授けられ感謝します)

ご飯の食べ方も仔細に記されている。「鉢の真ん中をかき分けるように食べてはいけない」「隣の鉢を覗いて不満をもってはいけない」「ご飯を丸めて食べてはいけない。落ちたご飯を拾って食べてはいけない。ご飯を吸って食べたり、噛みながら音をたてたりしてはいけない」など作法を細かく指南し、「自分の鉢に全心を注いでご飯を食べるように」という教訓。その他、粥の食べ方、鉢の洗い方、洗った水の処理、食器の収め方、食前・食後の祈りまで正に「飯法」の一部始終が網羅されている。

『典座教訓』の永平寺から「精進料理」が生まれて、本膳料理(室町〜江戸前期)に通じ、懐石料理も派生して日本料理に影響を与え続けてきた。道元が説いた「食と法の一体」に導かれて、私は自然に「食心一体」に結びついた。そして「食づくりは心づくり」の理念で『こころの食育』を探求しようと思う。「典座」の尽くす食心が、若き修行僧の仏心成就の源となるように、私たちも日々台所で“食心一体”に精進すれば、生活に活力と幸福がもたらされることだろう。

〈文責〉コピーライター 小山寅哉
参考/道元『典座教訓』『赴粥飯法』(講談社学術文庫)/道元「典座教訓」藤井宗哲(角川ソフィア文庫)