おとなの食育 NO.7

手づくりのよろこびを伝える

 

伝統食文化を身につける

2月4日「立春」。「春分」まで冬至から数えてちょうど半分という節目で、季節が冬から春に移り、寒が明ける立春の前日が「節分」。この日の夕暮れには柊(ひいらぎ)の枝に鰯の頭を刺し、枯れた豆殻と束ねて門や軒先におき、季節替わりの無病息災を願う。春に向かって、冬のあいだ家の中にこもった邪気や災いを追い払う「福は内、鬼は外」の豆まき。年齢の数だけ煎り大豆(福豆)を食べる風習も、都市化とともに減少。かつて日本にこんな行事もあったのかという語り草だけに終わるのか。かたや恵方巻きまるかじりといった行事(土用の丑のうなぎ同様)が小売業の仕掛けで復活、それもまたよかれと、何でも受け入れてしまうのは日本人の特技?。

自国の文化はおざなりに、クリスマスとかハロウィン、バレンタインデーにホワイトデー、せっせと異文化を取り込んで、お祭り好きな国民性なのか、単純に無節操にしか映らないでもない。伝統文化をないがしろにしては、国際化の波にのみ込まれても致し方ない。「世の中は便利、簡単、ラクだけで成り立っているわけではなく、どちらに自分の座標軸をおくか考える必要がある。普遍的な伝承は、国や人間の背骨のようなもの」(✴︎1)と痛感しますがいかがでしょうか。

「同じ箸と椀を使用する中国や朝鮮半島でも『洋食』は大した影響をあたえていない。朝鮮戦争を機にアメリカの食物が浸透したといっても、現代の日本人の食卓のようなことはない。中国人は中華料理、朝鮮半島の人びとは朝鮮料理を食べ続けている。東アジアのなかでは、日本がいちばん近代文明をとりこむことに熱心だった〜日本の伝統的料理技術の体系が、肉食と油脂の使用を欠如したものだったので、その空白部分を埋めるものとして洋食と中華が浸透した」(✴︎2)文化人類学・農学博士の石毛直道氏はさらにこう続ける。

 

食事が家族を支える

「現在の日本は世界中で、もっとも食事の個人化が進行した国である 。また、食事に関する家庭機能の外在化がいちじるしい国といえる」「それぞれに社会でことなる人生を送っている家族が、家庭のなかでお互いの存在を確かめあう場は、食卓である。人間にとってもっとも重要な人間関係の場である家庭における食事は、家庭機能の外在化や外食産業の発展にもかかわらず、あるいは逆にその故にこそ残り続けるであろう」「個人化の進行した日本人の食事において、家族全員がそろう唯一の機会をもっている夕食までが、個人化した原理につらぬかれたものに変質することは考えにくい。もし、そのような事態になった世相が将来出現するとすれば、それは家族という集団の崩壊を意味するものであろう」この著述は35年も前(1982年)。この間に共食の機会は急激に減少し、著者が危惧したであろう家族崩壊の最悪の事態に近づいているのは否めない。

「家族とは食の分配をめぐって成立した共食集団であるが、いまや逆に共食をすることが、家族という集団を維持する役割をになっている」と、氏は食卓の団らんに救世の願いを込めていた。いかに家族機能の外在化と個食化がすすんでも、家族を支えるのは「食」なのである。
あとがきで「平成17(2005)年『食育基本法』が成立し、学校で食に関する教育をおこなうようになり、食文化の伝承も、家庭から社会の側の施設に依存するようになった」ことに触れる。
氏が伝えたかったのは、家庭でしか継承できないこと。それは家族を想う滋味。「手づくりの愛情味」では。まずはコツコツと骨身を惜しまず「我が家の味」づくりを積み重ねること。そこから心癒される家族のよろこびの絆が、ゆっくりじんわりと深まり、育っていくものと信じます

参考文献:(✴︎1)「日本の縁起食」柳原一成・柳原紀子(生活人新書/NHK出版)
(✴︎2)「食事の文明論」(石毛直道/中公文庫)

 

〈文責〉コピーライター 小山寅哉