おとなの食育 NO.8

「食卓」は人生を培う「食育テーブル」

  血となり肉となる手づくりの食 昨年4月からスタートした「おとなの食育」も早や一年、おかげさまで今月号から二年目となります。当初より「食といのち」を根幹に、食をとりまく幅広い領域を俯瞰しながら、わたしたち「おとなが次代に示すべき食のありよう」をあぶり出そうと、暗中模索してきました。 「農」を中心とした自給率やコメの問題、食品産業の隆盛に潜む添加物など安心・安全の問題。もっとも関心の高い「健康と食」、こどものこころを育む「食といのち」の教育、実態の希薄な「伝統的食文化」など、食の問題は余りにも膨大すぎ、私自身「おとなの食育」など、単に表層をなぞるだけに終わるかもしれないと、なかば自信喪失ぎみになったり、試行錯誤の連続。ただ毎回「お便りコーナー」で、読者のみなさまから「おとなの食育を楽しみにしています」とか「これから一緒に学んでいきたいです」など、ありがたい言葉に励まされ続けてきました。 連載一年後に得た教訓。それは「自分で作ってみないとわからない」「料理のひとつも試さずして、食育は語れず」です。今年の新年号で「あらためまして手づくり元年」と謳ったのは、自身への誓いもあって「できることから手づくりを楽しもう」と。レパートリーはごくわずか。でも、初めて漬物(浅漬け)にチャレンジしたり、青木先生(表紙の薬膳料理家)のヒントから創り始めたパワーめし「黒ごはん」や、精進料理の本で覚えた「梅干入の大豆昆布煮」、ごはんが進む「大根葉と皮のジャコ炒め(オリジナル)」などが常備菜メニューに。 手づくりとは試行錯誤を楽しむもの。しかもどんな高級料理よりも、少々味がしまらなくても、お店では買えない「生活の味」。それこそ血となり肉となるものだから、〝これが滋味である〟としみじみと噛みしめる。   食卓から湧く生きるちから しかし現実は、調理済み食品の消費生活がエスカレートするばかり。外食、中食(惣菜)、宅配食など、女性の社会進出とともに加速(高齢化も一因)。男女共同参画社会とはつまるところ女性の就労を促し、そのために食卓の時短ニーズは高まる一方。手づくりなど、もはや時代錯誤の遺物か。早い、便利、おいしいから買って当然、こどもが食べたいから買う。それら袋詰め食品が現代版〝お袋の味〟らしい。本来、食卓こそ食育の場であったものが、家庭では困難になってきたので、学校など社会が受け皿になるという構図。両親が仕事を持つ一般家庭で、ダイニングテーブルは家族同時の「共食テーブル」でなく、時間バラバラの「個食テーブル」が実態のよう…… 「手づくり」と「共食の食卓」。手づくり食が、家族のからだをつくり、共に食す食卓が家族のこころをつくることは明白。最も身近なところで、放棄されつつある食の現実。「時間がないから、仕方ないからガマンしてね」で、こどももそれで不足なし。伝統食や郷土食も途絶え、全国一律、同一企業の生産する食品群が食卓を占拠し、袋から取り出して盛りつけるだけの〝お袋の味〟が、日本人共通の食スタイルに定着してしまうのか。 日々の食事が家族のからだとこころをつくり、家族の人生を支える。食育の起点と終点とは、この2点。「手づくりの食」と「よろこびの食卓」が〝人の成長や生きるちからを育む〟そのことを再認識し、日々もっと真剣に「食」と向き合い、切磋琢磨しようと腹をくくった次第。  

〈文責〉コピーライター 小山寅哉