おとなの食育 NO.6

あらためまして「手づくり元年」

  せめて黒豆だけでもコトコトと 元旦。家族が屠蘇を酌み交わして邪気を祓い、雑煮とおせちをいただく。新年を寿ぐハレの日の食事がおせち。数の子、黒豆、田作り(ごまめ/五万米)の三種がおせちの代表格とされたのは江戸時代から。一つ一つの食べ物には縁起があり、それらを食することで一年の安寧を祈った。子どもの頃が懐かしく。神聖だった正月の雰囲気が、いつの間にかカウントダウンのお祭りに過ぎなくなって、日本人のアイデンティティとともに消滅しそうな寂しさを覚える。 一月七日人日の節供は七草粥で無病息災を祈り。一月十一日は鏡開き。十五日小正月には小豆粥で祝うという、古き良き食のならわしは、節句ごとに年中行事としてありました。 近頃では年に一度のおせちも、予約販売ですませることが浸透してきた。9〜10月頃からおせちの予約注文はデパートやスーパー、新聞・カタログ通販、ネット通販等で頻繁になる。宅配業者は、カニとおせちの年末配達で悲鳴をあげる。この傾向は年々増加し、新たなおせちの商品開発も進化しているのでは。昔ながらの和食おせちにフレンチ、イタリアン、中華、エスニックを加えたグルメおせちなど。日本人は繊細な味覚で西洋料理を取り込んだ明治以降、家庭料理に定番化したライスカレーやコロッケ、トンカツ、ハンバーグ、オムレツを和食化したのとは逆に、おせち料理を国際食へと様変わりさせるのかも。 ただ現代人は何でも買えば済むものと思い込んでいるようで。お金では贖えないものがこの世にはある。それは心や絆、文化といった形のない大切なもの。おせちもそのひとつ。家族の絆や、我が家の食文化は、手づくりだから心がこもっている。作った人の顔が見えないおせちに、ありがたみも温もりもない。おせちの全てとは望めないまでも、せめて三種だけ、黒豆だけでも手づくりしたい。「黒く日焼けするほど健康で、達者(まめ)に働けるように」と願って。日本の縁起の食文化や、旬の味覚の大切さを絶やさないためにも。   現代人は戦時下の食糧難に耐えうるか 昭和10年(一九三五年)前後の食文化を著わした「食べかた上手だった日本人」—よみがえる昭和モダン時代の知恵—「モノはなくても貧しくない食生活」「冷蔵庫がなくても食べ物を腐らせない」80年前、シンプルな豊かさが卓袱台に並んでいた時代。輸入食品など微々たるもので、基本的には我が国の田畑で育てられた農産物と、近海の魚介類が主食材。自給率はなんと86%✳︎。 和洋折衷、一汁一菜、何でも手づくりでハイカラ・モダンなレシピには、加工食品はほとんどなくて豆腐、かまぼこ、ちくわくらいのもの。この時代に基本的な日本食が完成していたと見る。 ところが戦時下となって、食事状は一変。昭和16年(一九四一年)「節米(代用食)」の推進から配給時代、灯火管制、学童疎開、防空壕の非常食、乾パン、すいとん、ヤミ米、買い出し、芋のツル、カボチャの葉っぱも種も、道ばたの雑草も新鮮野菜と推奨された戦中戦後。「未利用動物性食品の上手な調理法と貯え方」(『主婦之友』一九四六年九月号)にはザリガニ、蜂の子、さなぎ、いなご、こおろぎ、げんごろう、かたつむり、かえる、へび。「栄養失調」から「一千万人餓死説」までとびかった食糧難は、戦中より戦後に悲惨さが増した。 思うに、みそ、梅干し、納豆など当たり前に手づくりしていた昭和モダン時代があったから、この食糧難を乗り越えられたのだろう。もし「何でも買うだけ」の現代人ならどうなったかと考えると、ぞっとする。「戦争を知らない子どもたち」も、いまや高齢者。いかなる食糧難でも餓死しないために「自分の身は自分で守れる食育」を。平時にこそ、憂無きように備えていたい。 参考文献:「日本の縁起食」柳原一成・柳原紀子(生活人新書/NHK出版)「戦下のレシピ」斎藤美奈子「食べかた上手だった日本人」魚柄仁之助(ともに岩波書店) ✳︎昭和14年度の食料自給率(農林水産省「食料の安定供給と食料自給率」より) コメ83%、小麦129%、野菜102%、魚介類106% 畜産物103% 大豆31% 砂糖類45% その他94%  

〈文責〉コピーライター 小山寅哉