おとなの食育 NO.2

「人生最期に何を食べたいですか」

 

コメの国の行く末は

小説家で劇作家であった井上ひさし氏は「コメのはなし」で農政や国のコメ政策に対し、これでもかとペンでくさびを打ち続けた。コメ問題こそ農業問題の核、日本文化の礎であり、これからもそれは変わらないし、変えてはならないと訴えた。弥生以前2000年以上も前から食べ続け、日本人の主食でありアイデンティティであったものが、わずか70年ほどの間に、副食の一部に過ぎないほど激減。(昭和30年頃の消費量120㎏から現在は60㎏程に半減)

これほど短期間に自国のたべものを激変させた国は他に例を見ない。一方的な減反政策が耕作放棄地を増やし、農村から都市に人口集中した結果、里山の原風景が廃れ、先進国中最低(40%)にまで食料自給率を下げてきた。(コメとサツマイモだけは100%前後)

その分、先進国中最大の食料輸入国となって、60%は世界中からたべものを買いあさり。余剰の食料や廃棄する食品の量も、世界最大(年間約2000万トン以上)。そもそも農を放棄して国家は成り立つはずがなく。先進国の多くは、ほぼ100%前後またはそれ以上の自給率を確保している。

自給自足とまでは行かずとも、国が掲げる自給率目標を70%くらいまで引き上げようと、“地産地消“の推進などで農政を盛り上げ、元気な農業を推進しようとする姿勢は、大いに称賛に値するがー単なるスローガンに終わらせず、地に足のついた「農政と人づくり」は今こそ本腰を入れるべき正念場。もはやこの国の食文化は、“一握りのコメ食文化”に変貌しているのだからー

 

ごはんの国のたべものは

炊きたてごはんと一汁一菜。しみじみ“日本人に生まれてよかった”と思える、今やそれがなにより飽きのこない贅沢な食事。ここ半世紀ばかりの急激な核家族化によって、食生活の手間ヒマ省く時短が求められ、たべものは買えば済む“食を軽視”する価値観が普通になってしまって。日本人は食を犠牲にしてまで、よほど大事な何かを追い続けてきたのか。経済的合理性こそ最高価値とばかり、古くさい価値観をかなぐり捨て、“豊かさやゆとり”といった夢をもがき求め、さてその果てに、いったい何を得てきたでしょう。

日本人に生まれ、日本人として生きてきた私たち。もし死に際に、食べたくなるものがあるとすれば、あなたはどんなたべものを選びますか?アツアツごはんと昔ながらの梅干、サケむすび、ゴマ塩にぎり、お茶漬けとお新香ーやっぱりごはんが第一。それはもう高齢者嗜好だから?では中年以前の世代だと、ステーキやハンバーグ、カレーやスパゲティ、コロッケ、ギョーザなどになりますか?

次代のこどもに伝えたい食育を考える時、おとなが自問自答する食育、それは「最期の食」をイメージすることから始めると分かりやすい。「あなた(自分)にとって、心から幸福感を味わえるたべものとは何ですか?」

いまに始まったことではなくて、ダイエットや健康食がブーム。健康の大元が食であり、食はいのちそのものだから。食を違えれば、人生を違え。食を変えれば、人生は変わる。いのちの最期のそのときまで“食の大事”を肝に銘じ「日々是食育」で精進したいもの。

〈文責〉コピーライター 小山寅哉

コメは穀物のなかでは最も栄養価が高く、人間に必要な8種類のアミノ酸がバランスよく含まれる。小麦のように粉食にする必要がなく、粒食のままやわらかくておいしく、消化吸収率は98%。また三大穀物(トウモロコシ、小麦、コメ)のなかで単位面積当たりの収穫量が最大。(「どうしてもコメの話」井上ひさし〈新潮文庫〉)