おとなの食育 NO.15

「食べ方」と「生き方」の考え方

信じられる豊かさ

ひところの過剰なグルメ番組は影をひそめたかと思いきや、「この食材が何に効く」式の健康情報が後を絶ちません。健康ブームは以前からありましたが、放送の翌日からその食品が売り切れるという、社会現象まで引き起こしてきました。「健康という病」(五木寛之著)はまだ未読ですが、タイトルだけで内容が予想できるほど、健康に対する異常現象を痛烈に皮肉っているものと思えます。
 戦後の食糧難にあえいできた日本人は、ハングリー精神で経済成長に邁進し、手にした豊かさを謳歌してきました。欲が欲を生む連鎖はとどまることなく肥大化を続け、飽食の時代は一様に「健康命」で生き抜こうとしています。心身の健康や生き方が「食べ方」で決まるとすれば、過去の食生活に誤りはなかったのか、その考え方の相関関係を整理してみました。

現代人はおしなべて、美食と健康の相反するものを同時に求めてきたことは明らかです。美味ばかりだと肥満や糖尿病につながる。そこで安易なダイエットで、いまどき栄養失調になったり、何種ものサプリメントで病気予防に躍起になったりするような、これではとても豊かな食生活だとは思えません。
 節句や祝い事など、ハレの日だけに限られていた「美食の快楽・享楽」(図の右側)が普通に慢性化しているのです。それを「豊かさ」だと信じてきた、平均的な日本人の生き方でした。信じられる「豊かさ」だった筈なのに、いじめや暴力、DV、凶悪犯罪、詐欺など、信じられない事件がなぜ後を絶たないのでしょう。

食べ方で生き方は変わる

やはり偏った食べ方で、現代人の生き方が変わってきたと推測せざるをえません。このへんで一旦「美食と快楽」まみれの日常を初期化して、本来の日本人の「禁欲と粗食」のケ(褻)の日常に立ち返ってみると、景色がまるで違って見えてくるものです。ストイックなケの積み重ねが、ほんとうの意味の快楽(幸福)をもたらすのではないか。食べ慣れていた日常の粗食こそ、滋味あふれるご馳走だったことに、改めて気付かされるのです。
 極限までの空腹を知らない限り、究極の美味は味わえないものです。豊かさの中で育った世代が、これからの時代を生き抜くためには、慎ましい「知足小欲」の考え方が望ましいのではないかと思います。真の幸福感や健康は、心身が洗われて初めて訪れるものです。
 さりとて至上主義の両極端に徹するような生き方は、逆に病が巣食う可能性もあります。何事も調和・中庸の中に、おだやかな暮らしが潜んでいるように思えます。さらにいつの時も「足るを知る」の一念さえ持ち続けることができれば、願い通りの健康も幸福も、日々ちらほら見えてくるはず。子孫たちに、そのような食べ方、生き方を伝えられるよう、さらに「おとなの食育」を考えてまいります。

〈文責〉コピーライター 小山寅哉