おとなの食育 NO.21
「百寿大国」の実現はもはや現実
人生100年時代を生き抜く食養生
193カ国中、長寿トップのお国柄か、「寿賀」(じゅが)という長生きの祝い言葉も実に念入りです。60歳「還暦」(かんれき)に始まり、70歳「古希」(こき)、77歳「喜寿」(きじゅ)、80歳「傘寿」(さんじゅ)、88歳「米寿」(べいじゅ)位までの認識はありました。それ以上は雲の上で、90歳「卒寿」(そつじゅ)、99歳「白寿」(はくじゅ)、100歳「百寿」(ひゃくじゅ)、108歳「茶寿」(ちゃじゅ)、111歳「皇寿」(こうじゅ)、119歳「頑寿」(がんじゅ)、なんと120歳「大還暦」(だいかんれき)まであるのをみなさんご存知でした? 現在、日本の100歳以上の人口は7万人を突破(内88%は女性)、百寿越えの方は年々増加の一途で49年連続とか。(茶の間の人気者で活躍した「金さん」「銀さん」、20年前当時の100歳以上は1万人足らず)「お前百まで、わしゃ九九まで」とは古来の祝い言葉ですし、「人生100年時代」がにわかに騒がれ始めたわけでなく、医療技術も未開の古くから、日本人の切なる願いとしてあったのです。
寿命については生物の種ごとに「限界寿命」があり、人類は現在、諸説あるうち大脳生理学から割り出された「120歳説」が有力だとか。ヒトは約140億個の脳細胞を持って生まれ、成人以降から徐々に減りはじめて、120歳くらいで半減。でも70億個の脳細胞は生きてはいますが、その120歳くらいを人間の「限界寿命」とする説だそうです。(奄美諸島・徳之島の「泉重千代さん」は34年前、121歳まで元気にこの「限界寿命」を全うし、一時ギネスにも紹介されました)
では「養生訓」の益軒先生は、人間の寿命の限界をどのように考えたかというと、「人の寿命は百歳を期限とし、上寿というのは百歳であり、中寿は八〇歳、下寿は六〇歳をいう」とし、「食養生を守れば人間は百歳まで生きられる」と述べています。
百歳長寿の食養生法は「和食」に在り※
益軒先生は「無病・長寿」を確実に自分のものにするため、最も重要なことは「腹八分目」だと繰り返し、「一時の欲を我慢できず病気になり、百年もつ体を壊してしまうのは馬鹿なこと。長生きして安楽でいたいと思うなら、欲にまかせてはならない。欲をこらえるのが長命のもと。欲にまかせるのは短命のもと。欲にまかせるか、我慢するかが長命と短命の分かれ道」と明言。
さらに「大根は野菜の中でもっとも上等で、いつも食べるがよい」としつつ、新鮮で生気のある「旬」のものをすすめます。旬には「盛り」の10日、その前に「走り」の10日、旬のあと「名残り」の10日があります。味と栄養が最も充実した旬の前後30日間は、ビタミンCと酵素の量が格段に高く生命力に満ちている。素材選択の基準は、長寿効果の高い「旬」のものを中心に置くこととしています。
「腹八分目」と「旬」の食養生をふまえ、長寿食で知られる永山氏は、長寿の秘訣に「胡豆魚大参茶」(ごまさかだいじんちゃ)の食材を必須としています。「胡」…胡麻(若返りをもたらす)「豆」…大豆(脳の老化を防ぐ)「魚」…魚(記憶力をよくする)「大」…大根(消化を助けガンを防ぐ)「参」…人参(ガンと老化を防ぐ)「茶」…緑茶(不老長生に役立つ)この6種を基本に一汁三菜の「和食」を推し進めています。(ご本人は現在86歳、益軒先生の天寿を一歳上回り、目標は120歳「大還暦」か)
さらに氏は古来の「五色の物健康法」を取り入れた、長寿レシピ集ほか幅広く活躍。「副菜を『おかず』というのは『御数』が語源で、数々とり揃えるという意味があり、偏らない食事をすること」だそうです。一汁三菜や五色の長寿食などにつきましては次回4月号より改めて紹介させていただきます。
〈文責〉コピーライター 小山寅哉